クロッカス

 86歳の彼女は、約1年前、風邪を引いてこじらせ入院した時に、大腸癌による腸閉塞を発症しました。そして半年後、肝臓への転移、さらに2ヵ月後から少しずつ体力が低下し、私達が在宅療養に関与するようになった頃は、呼びかけに開眼すら出来ない状態でした。
 5人兄弟のお母様で、お子様達にとても愛されていました。「どんなことがあっても生きていて欲しい」から「生き延びさせてやって下さい。」と懇願されました。十分に食べられないからと水分を補うために点滴を希望されましたが、そのせいで浮腫むとか心不全になるとか、不安と焦りでいっぱいの家人からはいつも質問攻めでした。これしか飲まないと、必ず帝国ホテルのスープ缶が用意されていました。「美味しいものが好きだったから…。」と、娘さんはとろみ剤を使おうとはしませんでした。座わらせるのが難しい状態でも、娘さん達はポータブルトイレに彼女を運び排便、排尿を待ちました。お茶の時間には必ずソファーに座らせ、支えながら果物を口に運びました。
 特に三女さんは、お母様をこよなく愛しておられ、彼女から片時も離れませんでした。身体を拭く時も、採血や点滴の時も、いつも身体を触らせて貰えないほど抵抗されました。「母は、他人様にそんなにお世話頂かなければならないほど重症ではないのよ、だから放っておいて」と繰り返すのでした。いつもしきりに話しかけ、少し顔が揺らいだかなという反応に、「ほら、笑ったでしょう、私がちゃんとしてあげてるから嬉しいのよ。」と、自慢気。少し精神的にダメージを受けていらっしゃるとのことで、そのお母様への関わりようは、狂気じみていたのでした。
 約2週間後、亡くなられた時も「眠っているだけよねぇ。」と、ずっと両腕で抱え込んで、顔をなでているのでした。否定する兄弟達に押さえ込まれながらも、「お母さん、起きてください!」と呼び続けていた三女さんの淋しそうな声を、今も時々思い出すのです。
 心からご冥福をお祈り致します。

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