鶏頭 

 

 

 「食べられなくなったら寿命かな。」68才、もう3年も闘病を続けてきた、脳腫瘍末期の母親を世話しながら、娘さんがつぶやいた。覚悟はもうとっくに出来ているものの、少しでも長く生きて欲しいと願い、毎日三度三度、半ば意識が混濁している母親の口にさじを運ぶ。声かけして嚥下を促し、無理だった分だけ口の中から掻き出して、口中を洗う。口腔ケア、リハビリは手を抜かない。その一生懸命の姿は、いろんな家族を看てきた私達がみても、そこまでする必要があるのだろうかと考えてしまうほど徹底したもので、悲しみさえ滲んでいる。 

ずっと働きづめで、自分の楽しみのためには一切使わなかったお金。まとまったお金ができては、こつこつ預貯金にして貯めていた。そんな母親の姿を見てきた娘さんは、今こそ母親のために使ってあげようと思うが、本人でなければ解約さえままならない。“窓口に行けない”という証明書を集めて、大急ぎで手続き中。

その日も毎日の全身清拭と、下肢のリハビリ訓練のために、看護師2人が訪問した。いつものように挨拶しながら体に触ったら、全く動かなくなっていた。まさかと、娘さんは優しく呼びかけ、体を揺すった。異変を信じてなくて、冗談めかして、言い方を変えて名前を呼び続けた。激しく揺すっても、ほっぺをさすっても、母親はびくともしなかった。途中から、それは号泣に混じった言葉となり、ようやくして、しがみつくようにして抱きしめながら、母親の死を確信した。一人きりの時じゃなかったのは、母親の精一杯の優しさだったのかもしれない。

「最期までしたいように介護させてくれた母に感謝しています。そして誇りに思っています。」娘さんの潤んだ目は、きっとずっと忘れない。

心より、ご冥福をお祈り致します。

 

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