カタクリ

 彼女が肺癌を患って、既に3年半経っていました。脳転移、骨転移の化学療法、放射線療法のために何回も入退院を繰り返していました。酒屋の女将として、ちゃきちゃきに働いていた彼女は、元気な頃からずっと診て貰っていた、時々飲みにも来てくれる近所のお医者さんに最期を診て貰いたかったそうです。でも、24時間体制の在宅診療をしていないからという理由で、当クリニックに紹介となったのでした。
 痩せて、あまり意識がはっきりせず、少しの水と口当たりのいいものを飲み込むのがやっと…。そんな状態で、娘さんは「最期は家でゆっくり過ごさせてあげたい」と連れて帰って来られました。でも、母親と一緒に家で過ごせる喜びの反面、一人で看取りに向かう不安で潰れてしまいそうでした。看護師は、二人に笑いかけ話しかけ、娘さんを励ましました。口腔内を洗浄し飲み込みやすいものを口に運び、ベッドサイドで座らせ足浴し、身体を拭きました。小声ながら、「ノドカワイタ」「オシッコイキタイ」と意思表示してくれるようになり、嬉しかったそうです。私は、夜間にコールがある度に駆けつけました。ただ口腔内の痰を吸引して、大好きな氷片を口に入れてあげるくらいしかできなかったのですが、娘さんとゆっくり話が出来て、貴重なかかわりの時間でした。
 彼女は、ついに一度も私に笑いかけて下さることなく亡くなられました。誠意を尽くしたつもりでも、25日間で心を許してもらうまでに至りませんでした。「難しい人だったから…」と娘さんは言って下さいました。でも出来ることなら、気難しい彼女に皮肉の一つも言われたかったのです。


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