同世代       

ご紹介頂いた患者様は、38歳という若さでした。発病後3年を経ており、肺がんの末期状態との診断です。退院当日訪問させて頂くと、腫瘍の脳転移による不穏症状の現れなのでしょう、落ち着かない様子で座って居られました。長身でほっそりした身体が闘病の長さを窺わせます。訪問後、先生と「同世代ですね」と話し、みんなしばらく黙り込んでしまった事を昨日のことのように思い出します。

 その夜、連絡用の携帯電話が鳴りました。旦那様からでした。「吐き気が強く、泣いてばかりいる」と。駆けつけてみると、置き所のない身体を横たえ「怖い、怖いよー」と泣いています。鎮静剤や制吐剤の投与で落ち着き、浅い眠りが得られその場を辞しましたが、帰宅途中の車内でもこれから始まる訪問看護を思い、考え込んでしまいました。「同世代」、やはりこの事がとても重く感じられました。人の寿命は、客観的に推し量れるものではありませんが、彼女はあまりにも若すぎる。今後の経過を思うと、どう接していくべきなのかその時は、全く分からなかったのです。

 しかし、私の思いを払拭してくれたのは、彼女自身と、とても明るい旦那様でした。訪問開始後、すぐに投薬、点滴による脳圧と癌性疼痛のコントロールが行われると、「久しぶりにすっきりした気分です、楽になりました」と仰って下さいました。確かに癌は進んでいました。でも、たったこれだけの治療でこんなにもいい状態を保つ事が出来るのです。それからの彼女は、積極的に「ウナギを食べに行きたい!」「今度は、ここのランチに行きましょう!」と希望され、私たちとの外出を楽しみにしてくれました。昼間は仕事でお留守の旦那様とは、訪問時の様子や治療経過などをノートで連絡し、家での様子を書き込んで報告していただきました。連日の点滴が欠かせない状態でしたから、休日にも訪問すると、今までの闘病のこと、お互いの子供の話などで話し込んだりもしました。しかし、そんな風に打ち解けて話している時も、病気の今後の話になると、お二人とも決め付けたように仰いました。「今までだって、残り少ない命と何度も言われてきた。でも、今こうしてちゃんと生きてるよ。奇跡は必ず起きるよ。」と。そんな時私は、微笑み返すだけだったのではないでしょうか?

 やはり、小康状態はそんなに長く続きませんでした。再び強くなった不穏症状は、特にご主人が留守の日中に現れました。訪問した私に抱きつき、号泣します。そんな時私は、ただ黙って、抱き締めて、肩をたたいているだけでした。急に立ち上がり、何処へ行くでもなく部屋の中を動き回ります。転倒しないかとひやひやしながら、なだめながら後を付いていきました。歌なのかお経なのか、何かいつも口ずさみ、ふっと笑顔になって他愛のない言葉を繰り返します。話しかけても、ただ頷かれるだけです。

どの患者様もお見送りさせて頂いた後はいつも、「私の看護は、患者様やご家族にとって満足のいくものであったか?」などと考えますが、彼女をお見送りした後は、一層その思いが強く、今でも時折、「もっとしてあげられた何か」を考えてしまいます。ただ、ご主人に「家だからこそ、添い寝して看取ることが出来た。病院だったら、こんなふうに家族に囲まれた最期ではなかったと思う。」と仰っていただいた言葉に、救われる気持ちです。最期まで病気と闘い生きる望みを失わなかった強い彼女と、抱きついて死ぬのを怖がって泣いていた弱い彼女。同世代だから?だけではなくて、いろんな経験を私にさせてくださったと思います。安らかに、天から私達を見守っていて下さいね。  

 

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