秋桜(コスモス)

 

痩せた青白い顔で、静かに微笑む彼女は、現代医療を最期まで受け入れてはくれませんでした。もう一度元気になっていつもの生活がまたできるようになると、それは彼女にとって奇跡でもなんでもなくて、本気でそうなると思い込んでいて、周囲にもまるでそれが本当かのように思わせてしまう、とても不思議な人でした。

だから、癌の末期だというのに、骨髄転移していて重症の貧血に陥っているというのに、点滴も輸血も拒み、さんざん説得してから手配したはずの血液製剤を前にして肝炎ウイルスの感染が怖いからというごく一般の人が心配するような理由で輸血を拒否なさった事も、今となっては彼女らしいなぁと苦笑してしまうのでした。在宅での癌の闘病生活は、もっと死を意識してするものだと考えていたのかもしれません。彼女はそうではなかったから、私たちの手におえないと思う所があったのかも知れません。

たった一人の娘さんは、彼女の手となり足となり彼女を介護しておられました。私たちが何度も、急変はいつ来てもおかしくない状況に来ていますと説明しても、まるで人事のようで、母は大丈夫のようですよと、お母様と同じように静かに微笑まれるのでした。二人はまるで、一心一体のようだったので、彼女に何かあった時の娘さんのことが一番気がかりでした。

少し活気がなくなっていて週末のことが心配だったので、土曜日訪問診察させて頂きました。思っていたより軽快にお話しなさったので、今週末は大丈夫だなと看護師と話していたのに、次の日早朝、“母の目つきがいつもと違うのです”と、慌てふためいた娘さんの声で電話が入りました。

いよいよ最期の時と思い駆けつけた私達でしたが、パニックに陥っている娘さんは、このまま静かに見守りながらお別れできるとはとても思えない様子でした。‘今、大きな病院にお連れしなければきっと後悔なさる’と思った私は、救急車を手配し、病院の救急室へ受け入れていただきました。精一杯急いだにもかかわらず、彼女の命はあっという間に燃え尽き、追いすがる娘さんの姿をただただ見つめるしかない私でした。

満足のできる最期の形、そんなものはあるはずないのでしょう。なぜなら、最期まで人は生き延びる事を願っているから。最期まで生きる事に執着する姿を目の当たりにして、癌が身体を蝕んでもなお先の命を願うのは医学がわからない人の勝手な幻想だと、傲慢にもそう考えていた私の頭をガツーンといわせてくれました。=最期の形=それはきっと、私達の永遠の課題だと思っています。

至らぬ点も多々あったと思います。素敵な人生を垣間見せて下さって、本当に有難うございました。心より御冥福をお祈り致します。


                                  

                                          〜 看 護 婦 手 記 〜

                                                                                                                                                            

母娘 



 


 

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