あざみ

 

3歳から耳が聞こえないという事は、単に聞こえない、話せないというだけではありません。言葉を単語から文章へ繋げて使うという作業の経験が少ない、あるいは健丈な者と方法が異なるため、通常の文章では概念の構成ができないらしく、抽象的なことを伝える事はかなり困難なことでした。なかなか伝わらないため、心の中の不安などを、話し合うことで克服していくということは不可能に近いのでした。

肺癌が身体を蝕み、それでこんなに下腿が腫れて、呼吸がしんどいのだと、いくら説明しても上手く理解されませんでした。点滴したら余計しんどい、薬が増えたらそのせいで喉が詰まる…と同じ訴えが繰り返されるばかりでした。焦る彼を、同じく耳の不自由な奥様が傍で激励するのですが、痛みや苦しさを具体的に表現する術すら知らない彼にはそれも虚しく、下を向いて首を振るばかり。夜中、「すごく苦しがっている」と送ってくれたファックスに驚いて駆けつけた時も、心配そうな顔の二人を前に、点滴しながら傍にいる事しかできませんでした。

6歳で聴力を失った奥様は、簡単な手話や筆記で会話する事が出来ました。二人の馴れ初めや、生活上の不安や不自由さを話してくれました。ようやく二人のことを少し判りかけた頃、彼の病状は俄かに悪化し、ついに笑顔を見ることがないまま、永眠されました。ただ、念願だった自宅で看取れたことだけが救いでした。でも、もっともっと何かを訴えていたのではないのか、もっと解ってもっと楽にしてあげられる方法があったのではないか、もっとその時間が欲しかったと思います。そして一回でいいから、満面の笑みが見たかったな、と思うのです。

 

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